下向智也
展覧会名:「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」
会場:千葉市美術館
会期:2021年4月10日[土] – 7月4日[日]
千葉県千葉市にある千葉市美術館で「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」展が開催していた。こちらの美術館は2020年(令和2年)7月11日リニューアルオープンしており、コレクションの収集方針は、「近世から近代の日本絵画と版画」、「1945年以降の現代美術」、そして館が立地する「千葉市を中心とした房総ゆかりの作品」の3つを大きな柱としている(千葉市美術館公式HPより引用)。
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千葉市美術館 外観
タイガー立石、又の名は立石大河亞のペンネームを名乗った立石紘一(1941〜1998)は、ナンセンスな「コマ割り絵画」シリーズなどで知られ、幅広いジャンルの創作を行った。様々な手法を取り入れたポップアートはもちろんのこと、漫画や絵本などでも名を残した。現に、私は絵本『とらのゆめ』でタイガー立石を知った一人で、名前のインパクトがさることながら、絵の世界観や色遣いがとても印象に残っている。尚、立石を取り上げる際、作家名の問題が付いて回るが、今回の展覧会に沿い、「タイガー立石」表記で統一させて頂く。過去、行われてきた展覧会では、立石大河亞で開催されていたが今回の変更の意味が示すところを感じつつ、ここに書く。
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《ネオン絵画 富士山》(1964/2009年)
展示は、タイガー立石の足跡を辿るものであり、16歳頃の絵画から、第15回読売アンデパンダン展(1963)で出品した玩具や流木を貼りつけたレリーフ的作品 「共同社会」、旭日旗のイメージをとりこみつつ立体的なロゴ等の広告的表現による作品、漫画、イタリア、ミラノでの建築的なデザイン、その頃から生まれた「コマ割り絵画」、帰国後の絵画や掛軸、陶彫によるオブジェなどが展示されていた。このように居住地的にも作風的にも一定の場所に留まらずに制作を行い続けたアイデンティティが見て取れる。これまでの研究からも多岐に渡る創作活動は広く論じられているが、本展覧会では、タイガー立石を総合的に捉え、大規模な展覧会として久しぶりに企画しつつも、漫画や絵本を軸に置き、タイガー立石にとってそれらがどのような位置付けにあり、他の創作活動と影響し合っていたのかがわかるものであったと感じる。
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《七点八虎富士》(1992年)
その中で感じたことを少しまとめる。
一つ目は、ミラノとの関連性。タイガー立石はミラノへと渡っているが、そこから生まれた作品への関連性も強く見られた展覧会であったとも思える。それは絵画から見て取れる未来派的な特徴と、元々備えていた想像的なSFの世界観をソットサス工業デザイン研究所をはじめとする建築・デザイン界におけるイラストレーションの仕事から得られた視点である。ある種の理想郷のような世界観を作画していたことは新鮮であった。資料も豊富であり、海外にある資料などを合わせたら今後より一層、研究が進むと感じた。
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《時の列車》(1984年)
二つ目は資本主義との関連性。出身地である筑豊は日本の近代化を支え、そしてその分の負担を一気に負った地域である。三井、三菱系の資本による大規模な炭鉱から中小規模な石炭の産出場まであり、様々な出身地からの労働者と、それによる娯楽産業の発展、そして、それらの多様な文化が入り混じった都市が形成されていた。そのような地域で生まれ育ったタイガー立石は資本主義や戦争の流れなど、激しく押し寄せる波をどのように捉えたのだろうか。そして、父が炭鉱夫であることや蒸気機関車が走っていたこともあり、資本主義の流れを肌で感じていたのではないだろうかと考えた。それと同時に未来派と相まって、蒸気機関車がモチーフとなることが多くなったのではないだろうか。また、晩年にかけて情報社会やパソコンなどの近代の資本の波が押し寄せたことを受けて描いた物質的な情報や電子基盤、デジタル的なモチーフをどのように捉えたのだろうか。そのデジタルな世界観に古典的なモチーフを組み合わせることによる絶妙なバランス感覚と世界観が素晴らしいと思った。そして、現代のインターネット社会による非物質的なバーチャルな世界、情報の世界を見られたとしたら何を思い、創作するだろうかと考えた。
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《大地球運河》(1994年)
三つ目に描く対象物。1964年頃から中国を多く描く時期があるが、どのような心持ちだったのだろうか。自分におけるアイコンとしての虎と中国の象徴としての虎、そして原発。その時代には身体を含めて中国への憧憬が存在していたとも聞くが、タイガー立石にも存在していたのだろうか。ただ、文化について学び、大切に描いているということが伝わった。それと同時に、他の国の文化や自分の作品、他者の作品などを捉え直し、蓄え続けた知識やアイデアなどをイメージとして散りばめ、展開することで、そこに存在する境を越えようとする力も伝わってきた。また、モチーフとしての虎以外にも富士山や旭日旗、ひまわりがとても強く印象に残ったが、偏愛とも言えるモチーフとしての多用は何を意味するのだろうか。ただ好きだったのだろうか。それとも時代に即した理由があったのだろうか。ミラノから帰国後にも虎や富士が再び多く描かれるようになることも気になった。
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《大正伍萬浪漫》(1990年)
観光芸術研究所で共に活動した中村宏や、作風に類似性がある横尾忠則との関係性など、観光とは何かという点も含めて同時代を生きた人たちへの関与がわかる展覧会があれば、今後さらに新たな一面が見えて面白いと感じた。
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《明治青雲高雲》(1990年)
もし興味を持って頂けたなら巡回展に是非訪れて頂き、想像の世界を視覚的に表現し、多様な枠の中で表現を極め、イメージを自由に扱ったタイガー立石の作品を実際に目の前で見て頂きたい。
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《昭和素敵大敵》(1990年)
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